志道広良

志道 広良(しじ ひろよし、応仁元年(1467年) - 弘治3年(1557年))は、安芸国の戦国大名毛利氏一門、坂氏の庶家、志道氏の当主。毛利元就、毛利隆元の2代に仕えた重臣。志道城主。受領名は上野介。志道元良の子で、口羽通良の兄(なお、通良は広良の子とする説もある)。子には嫡孫・志道元保の父となる、名前が不明の男子と。坂氏を継いだ坂元貞他。

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生涯

毛利氏の庶家として、代々の毛利家当主を補佐していた坂氏の庶流で、父・元良の代から志道氏を名乗る。

毛利興元の代から毛利家執政を務めていたが、弟・元就の器量を早くから見抜き、親交を結んでいた。毛利興元と嫡子の毛利幸松丸が夭折した後、毛利元就とその弟・相合元綱との間で争いが起きると、元就を支持して、他の14人の宿老とともに署名した起請文を提出し、かつ足利将軍家の同意もいち早く取り付けた。その後元綱を擁立した宿老の坂広秀、渡辺勝の謀反はあったものの、元就に無事家督を相続させることに成功した。

本家筋の坂広秀が相合元綱を擁して謀叛した際には、元就方として鎮定する側にまわった。乱の後、次男の志道広昌に途絶えた坂氏の名跡を継がせて、本家を継承せしめた。そして以後は元就の軍師的な役割を、さらにはその子隆元の後見役を務め活躍し、91歳の長寿を保った。

1539年に嫡子に先立たれたため、嫡孫の志道元保が跡を継いだ。

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逸話

毛利隆元に「君は船、臣は水」(家臣は水であり、その水が無いと船は浮かばない。また、水は簡単に船をひっくり返す。だからこそ君臣の関係は大切にしなければならない)と、主従関係を例えている。

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